。 : 企画当初から,宮崎さんが中心で動いていたんですか? 宮崎氏: いえ。最初期はそれほど深く関わっていません。私は当時「アーマード?コア4」のディレクターで,プロジェクトも最後の詰めの時期でしたし。 : なるほど。 宮崎氏: 私が本格的に参加したのは,プロトタイプ制作の途中ですね。途中といってもかなり序盤でしたが,当時の「Demon's Souls」は,あまりうまくいっていませんでした。そこで,一度立て直しが図られ,私も丁度「アーマード?コア4」が終わったタイミングだったので,そこからディレクターとして参加することになりました。 : 「Demon's Souls」の企画の発端と,そこに宮崎さんが参加するまでの経緯はそういったものだったんですね。 宮崎氏: まあ,そこからはかなり好き勝手やってしまったんですが(笑)。 会社からは「好きにやっていい」という話をもらっていましたし,プロデューサーの椌丹螅⊿CE)も理解してくれたもので,「折角ほぼゼロからゲームを作れるのなら,タイトルだけ変わらなければ大丈夫だろう」くらいのノリでした。 : 当初の企画内容は,世に出た「Demon's Souls」とはまったくの別物だったんですか? 宮崎氏: 別物だったと思います。まあ幸いなことに,プロトタイプは承認されて「Demon's Souls」のプロジェクトが本格的に動き出すことになるのですが,勝手にやっていた手前,かなりドキドキしていたのを覚えています(笑)。 : なるほど。そういう巡り合わせと,そのチャンスを物にした宮崎さんの実力という,一連の流れが上手く組みあわさっていたということですか……。 ただ,いずれにしても,aion RMT,入社して3作目で関わった「アーマード?コア フォーアンサー」では,もうディレクターを任されていたんですよね? 宮崎氏: そうですね。正確には,2作目の「アーマード?コア4」の途中から,ディレクターとして制作に携わっています。 : 入社して最初に関わったタイトルが「アーマード?コア ラストレイヴン」で, その次の作品(アーマード?コア4)では,もうディレクターで。そして「DARK SOULS」で,プロデューサーとディレクターを兼任されているわけですよね。 宮崎氏が初めてゲーム制作に関わった「アーマード,cabal rmt?コア ラストレイヴン」。写真はPSPに移植された「」 宮崎氏: はい。いろんな意味で機会と,そして仲間に恵まれていたと思います
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